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大阪家庭裁判所 昭和48年(家)2572号 審判

申立人 斉藤千代子(仮名)

相手方 杉村健次(仮名)

参加人 上田清子(仮名)

事件本人 杉村尚子(仮名) 昭三八・一〇・三一生

主文

1  事件本人の親権者を相手方から申立人に変更する。

2  事件本人の監護者を参加人と定める。

理由

1  本件記録添付の関係人らの各戸籍謄本、当家庭裁判所調査官作成の調査報告書及び当裁判所昭和四三年(家イ)第九七八号離婚申立事件の記録は総合すると、

(1)  申立人と相手方は、昭和三一年五月ころから同棲生活に入つて昭和三四年六月一八日に離婚届出をし、その間に昭和三四年一二月一六日に長男享を、昭和三八年一〇月三一日に長女尚子(事件本人)を、それぞれ儲けたが、相手方が現在の妻杉村陽子と親密な間柄となつたこと等の理由で夫婦関係が破綻し昭和四四年五月二七日前記享及び事件本人の親権者をいずれも相手方と定め、同人がその監護養育にあたることとして、調停離婚したこと、

(2)  なお、前記離婚に際し、申立人としては前記二児を引き取り自ら養育することを希望していたが、生活が不安定であつたことから一応親権者を相手方と定めたものであつて、いずれは引き取る考えでいたこと。

(3)  前記享及び事件本人は、申立人と相手方との夫婦関係が破綻した昭和四二年ごろから、杉村陽子が昭和四二年三月九日に相手方との間に儲けた弘恵とともに、相手方及び右陽子に養育されてきたこと。なお、相手方及び陽子は昭和四七年三月一〇日に婚姻届出をしたこと。

(4)  杉村陽子は、事件本人らの養育に全力を尽くしてあたつてき、事件本人の兄享も比較的同女になついたものの、事件本人とはしつくりしないところがあつたこと。

(5)  そうするうちに、相手方は、昭和四八年六月一二日ごろ突然杉村陽子にも行き先を告げずに外出し、それ以来今日まで同女にその居所は連絡しておらず、右陽子は債権者に責められ経済的にも行きづまり、やむなく生活保護を受けることとなつたこと。

(6)  そこで、杉村陽子は、申立人の姉である参加人に対し、事件本人の引き取りを求め、事件本人は昭和四八年七月二二日参加人に引き取られ、以来参加人に養育されることとなり、同年九月には○○小学校から××小学校に転校し、氏も母の氏「斉藤」に事実上変更し、「斉藤尚子」で同校四年生として通学中であること。

(7)  事件本人は、参加人によくなつき、同女の許で精神的にも安定した生活をしており、参加人の長女美智子(二〇歳、短大生、昭和四九年三月卒業後は幼稚園保母として就職する予定)、長男誠(一五歳、中学三年生、昭和四九年四月高校進学予定)にも兄姉のようになつき同人らもよく世話をしており、事件本人としては、このまま参加人の許でくらすことを熱望していること、また、参加人としても、事件本人の監護者となつて今後も自分の子同様の気持で養育する考えでいること。

(8)  申立人は、現在サウナに勤めマッサージ業見習をしているが転職することが多くいまだ生活が安定したものとはいいえない状況にあるものの、時々事件本人に面会に行き、定期的ではないが事件本人の養育費を参加人に支払うなどしており、いずれは事件本人を引き取つてともに生活することを希望していること。

(9)  相手方は、その居所を明らかにしておらず生活状況もつまびらかでないが、前記状況からして事件本人を自からの手で養育することは困難であること。

(10)  相手方及び杉村陽子は、申立人に対してはともかく参加人に対しては信頼をおいており、参加人が監護者となつて事件本人を養育することが同女のためにも良いものと考えており、監護者を参加人、親権者を申立人とすることに異存はないことが認められる。

2  以上認定の事実およびその他一件記録並びに本件調停(なお、本件は、昭和四八年七月一九日調停事件として申立てられ、当調停委員会は五回にわたつて期日を開いたが、いずれも相手方の出頭がえられなかつたため同年一〇月一八日不成立となつて審判手続に移行したものである)の経過から認められる事情を総合して考えると、事件本人の親権者を申立人に変更し、監護者を参加人と定めてその下において養育させるのが、事件本人の幸福に合致するものと判断される。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 赤塚信雄)

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